宝ものの機械達
歴史はつながっています。今はコンピューターで新聞を作りますが、それまでは鉛活字で記事を作りました。その時、活躍した機械たちがいっぱい。未来に生かす産業遺産として紹介します。
■昔の印刷機 ■活字・文字関連機器 ■写真製版関連 ■凸版輪転機関連 ■写真電送装置
グーテンベルクの印刷機(レプリカ)
ドイツ人グーテンベルクによって1445年頃に発明された活版印刷機の複製(ドイツにある実物の80%大)。グーテンベルクの活版印刷は、以下の3項目を合わせて活版印刷の発明とされる。
1)ブドウ搾り機にヒントを得て、プレス部を改良した印刷機を製作。
2)鉛活字用の合金および活字鋳造方法を確立し使用。
3)油性ワニスを原料にした金属活字用のインキを製造使用するなどの印刷工程。
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42行聖書(複製)
グーテンベルクが、グーテンベルク印刷機を使って、最初に印刷したといわれる初の印刷聖書で、170冊程度印刷された。冒頭の9ページが40行、10ページ目が41行、11ページ目以降はすべて42行であるために、「42行聖書」と呼ばれている。
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「マリノニ型輪転機」
マリノニ輪転機は1890(明治23)年、東京朝日新聞がフランスのマリノニ社から輸入し、国内で初めて稼働した輪転機。明治30年代末以降、マリノニ輪転機を参考にした国産の「マリノニ型輪転機」を数社が開発。各新聞社に盛んに導入され、以後約50年間、主力機として稼働した。日本の新聞用紙のサイズは、マリノニ輪転機で印刷された新聞の寸法(546mm×406.5mm)をもとに決められた。展示品は谷口精機制作所製で昭和50年代まで「新聞の新聞社」で稼働していた。
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足踏み式平圧印刷機
機械のペダルを踏むと、インキローラーが動いて垂直に置かれた活版面にインキを 着け、次に圧盤が動いてきて紙を版面に押圧して印刷する印刷機で1850年頃にアメリカで発明された。1873(明治6)年ジェーンズが熊本洋学校の教科書印刷のためにアメリカから取り寄せた印刷機もこのタイプ。ジェーンズから払い下げを受けた熊本活版社で、「白川新聞」「熊本新聞」の印刷にも利用された。この機械は、1885年以降にPALMER and REY社で作られたもの。
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万年活字鋳造機
林栄社が米国製トムソン自動活字鋳造機を研究し、1926(大正15)年に完成させた硬質活字鋳造機。翌年、大阪毎日新聞がこの鋳造機6台を導入。普通の鉛活字の鋳造に使い、順調に稼働した。また、価格もトムソン鋳造機の約2割と非常に安かったため、全国の新聞社に広く普及した。1933(昭和8)年 林栄社製・熊日で昭和57年まで使用。
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文選台(活字棚)
文選とは、活版の工程の一つで、原稿を読みながら、約4000種類の活字が並べられた活字棚から活字を1本1本拾って、文選箱に納める作業で、昭和50年頃まで行われていた。ベテランになると、1分間に40字ほど拾うことが出来た。
なお、本文用活字は、1回のみの使用のため、使った分は活字鋳造機で作り直して、補充した。
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文選作業(昭和40年代)
文選とは、活版の工程の一つで、原稿を読みながら、約4000種類の活字が並べられた活字棚から活字を1本1本拾って、文選箱に納める作業で、昭和50年頃まで行われていた。ベテランになると、1分間に40字ほど拾うことが出来た。
なお、本文用活字は、1回のみの使用のため、使った分は活字鋳造機で作り直して、補充した。
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大組み台
大組み台には、新聞1ページ分の素材が揃えられ、整理記者の指示に従って、大組み担当者が本文活字、見出し、写真、広告などを1ページに組み上げていく。
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大組み作業(昭和50年代)
大組み台には、新聞1ページ分の素材が揃えられ、整理記者の指示に従って、大組み担当者が本文活字、見出し、写真、広告などを1ページに組み上げていく。
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手動モノタイプ
オペレータが文字盤上の文字を見つけてキーを押し下げると、活字母型盤が連動して移動し1本ずつ活字を鋳造。所定の文字数で改行すると、行間にインテル(鉛製の薄い板)が挿入され棒組み(1列に並んだ組版)が出来る仕組みで、1分間に40文字以上鋳植できた。1960(昭和35)年 東京機械製作所製・昭和40年代まで使用
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手動モノタイプ作業風景(昭和40年頃)
オペレータが文字盤上の文字を見つけてキーを押し下げると、活字母型盤が連動して移動し1本ずつ活字を鋳造。所定の文字数で改行すると、行間にインテル(鉛製の薄い板)が挿入され棒組み(1列に並んだ組版)が出来る仕組みで、1分間に40文字以上鋳植できた。1960(昭和35)年 東京機械製作所製・昭和40年代まで使用
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漢字キーボード・テープ鑽孔機
日本語の文字を直接入力する装置。入力された文字や記号類がコード化され、紙テープに鑽孔(穴を開ける)される仕組みである。漢字キーボードは、盤面に576個のキーが配列され、1つのキーに4個の漢字や記号類が振り分けられている。オペレータが足踏み式レバーを両足で操作しながら、キーを押すと、1つの文字が選択され、文字や記号類はコード化されて紙テープに鑽孔される。速い人は1分間に約80文字を入力できた。日本タイプライター製・1982(昭和57)年まで使用
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漢字キーボード入力作業
日本語の文字を直接入力する装置。入力された文字や記号類がコード化され、紙テープに鑽孔(穴を開ける)される仕組みである。漢字キーボードは、盤面に576個のキーが配列され、1つのキーに4個の漢字や記号類が振り分けられている。オペレータが足踏み式レバーを両足で操作しながら、キーを押すと、1つの文字が選択され、文字や記号類はコード化されて紙テープに鑽孔される。速い人は1分間に約80文字を入力できた。日本タイプライター製・1982(昭和57)年まで使用
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全自動モノタイプ(NT‐H4型)
穴の開いた鑽孔テープをキャスタのテープ読取装置に読み込ませると、文字コードによって所定の文字を選択し、母型が収納されている円筒状の母型シリンダが自動的に左右移動および回転を行い、所定の母型を鋳型にセット、活字が1本ずつ鋳造される。さらに、行間には自動的にインテルが詰められ、1分間に110文字の速度で、縦15字の活字を横一列に並べた棒組ができる仕組み。
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全自動モノタイプ作業風景
穴の開いた鑽孔テープをキャスタのテープ読取装置に読み込ませると、文字コードによって所定の文字を選択し、母型が収納されている円筒状の母型シリンダが自動的に左右移動および回転を行い、所定の母型を鋳型にセット、活字が1本ずつ鋳造される。さらに、行間には自動的にインテルが詰められ、1分間に110文字の速度で、縦15字の活字を横一列に並べた棒組ができる仕組み。
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写真植字機
写真技術を応用し、印画紙やフィルムに文字を出力する装置。文字盤、レンズ群、光源、ファインダー、暗箱、送り装置、点字板などで構成される。(活字組み版を上質紙に印刷した)清刷から製作していた地紋入り見出しを、フィルム化するためなどに利用された。1960(昭和35)年 写研製・昭和57年まで使用。
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ワープロ国産1号機 JW-10
1978(昭和53)年に東芝が開発し、翌年2月に630万円で発売した、初の業務用日本語ワードプロセッサ。当時、コンピュータで取り扱える日本語の文字は、カタカナが当たり前で、漢字を含む日本語が利用できるワードプロセッサが望まれていた。しかし、技術の進歩はめざましく、JW-10は発売から十数年で姿を消してしまった。(株)東芝より寄贈
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竪型製版カメラ DSC-39-A型
写真、イラスト、広告原稿などを紙面に掲載される寸法に拡大・縮小して撮影し、製版用ネガフィルムを作製するための大型カメラ。大日本スクリーン製・1982(昭和57)年まで使用。
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変形レンズ(凸型レンズ)
見出し文字は、字数の関係で文字の縦横の比率を変える必要がある時に、文字の上に変形レンズを置いて、製版カメラで撮影していた。
凸型レンズは、文字の天地幅の拡大に、凹型レンズは、文字の天地幅の縮小に用いられた。
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変形レンズ(凹型レンズ)
見出し文字は、字数の関係で文字の縦横の比率を変える必要がある時に、文字の上に変形レンズを置いて、製版カメラで撮影していた。
凸型レンズは、文字の天地幅の拡大に、凹型レンズは、文字の天地幅の縮小に用いられた。
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紙型
大組みが終わると、組み上げた版の高さを丁寧にならす。その後、特殊な厚紙を当ててローリングで圧をかけると、組み版は雌型として厚紙に転写され、紙型が出来上がる。
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組版ならし作業(昭和40年代)
大組みが終わると、組み上げた版の高さを丁寧にならす。その後、特殊な厚紙を当ててローリングで圧をかけると、組み版は雌型として厚紙に転写され、紙型が出来上がる。
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紙型取り(ローリング)作業(昭和40年代)
大組みが終わると、組み上げた版の高さを丁寧にならす。その後、特殊な厚紙を当ててローリングで圧をかけると、組み版は雌型として厚紙に転写され、紙型が出来上がる。
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凸版輪転機用の鉛版
鉛版は活字組版から取った紙型に鉛合金を鋳込んで作られたが、1枚で18~20Kgもあり、印刷作業は大変な重労働だった。使用済みの鉛版は、鉛釜に戻し、溶かして再利用した。1982(昭和57)年まで使用
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輪転作業(昭和50年代)
鉛版は活字組版から取った紙型に鉛合金を鋳込んで作られたが、1枚で18~20Kgもあり、印刷作業は大変な重労働だった。使用済みの鉛版は、鉛釜に戻し、溶かして再利用した。1982(昭和57)年まで使用
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ヘルシュライバー通信機
1929(昭和4)年、ドイツ人ルドルフ・ヘルが開発したテープ式文字電送装置。文字を小さな点に分解・スキャンして電気信号に変換し送信する。受信側では(印字ヘッドの針でインクリボンを押す)ドットプリンターの原理で印刷される。1.5㎝幅の紙テープに書いた一列の手書き原稿を送信できた。1980(昭和55)年まで使用
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写真電送機 201‐M型
1969(昭和44)年に開発・販売された写真電送機。支局や取材現場から電話回線(アナログ信号)を利用して、本社に写真を送信するために使われた。従来型に比べ、大きさ、重量、消費電力とも約1/3で、AC電源のほか、乾電池でも使用でき、取材先での利用も容易になった。松下電送製・1998(平成10)年まで使用。
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写真電送機 201-S/D型
1985(昭和60)年に開発された装置。円筒状のドラムへの写真原稿の巻付けと取り外し以外を完全自動化、起動ボタンを押すだけで全て自動的に動作する。ISDN(デジタル回線)にも対応し、AC電源、電池、カーバッテリーの3電源の使用が可能。カラーアダプターを取り付けると、カラー写真を藍・紅・黄の3原色に色分解して送信する事も可能。松下電送製・1998(平成10)年まで使用。
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フィルムダイレクト電送装置 NT-1000
1983(昭和58)年に商品化された35mmネガフィルムをダイレクトに電送できる装置。この装置が生まれる前は、印画紙にプリントしてから電送していたので、撮影から電送まで約1時間を要したが、この装置では、撮影から送信終了まで約30分で済んだ。ニコン製。
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カラーフィルムダイレクト電送装置 NT-2000
新聞紙面のカラー化のニーズに合わせ、1988(昭和63)年に開発された。カラーフィルムをダイレクトに電送できる装置で、ニュース写真のカラー化に威力を発揮した。ニコン製。
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