熊本の新聞の歩み
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1864(元治元)年 ジョセフ・ヒコ(浜田彦蔵)、日本最初の民間新聞『新聞誌』(のち『海外新聞』)を横浜で創刊。定期購読者4人中3人は肥後藩の岩男俊貞、荘村省三と柳川藩の中村祐興。3人は横井小楠の門下生
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1869(明治2)年 5月、「新聞の父」ジョセフ・ヒコ、熊本を訪ねる
●この年のできごと
1月、横井小楠、京都で暗殺される1870(明治3)年 5月、細川護久が熊本藩知事となり、急進的な「肥後の維新」始まる/7月、再春館、時習館、洋学所などを廃止 1871(明治4)年 12月、ヒコ再び熊本を訪ね、荒れた熊本城本丸御殿を見る
●この年のできごと7月、廃藩置県により熊本県と人吉県誕生/7月、古城(ふるしろ)医学校開校/9月、米国から元陸軍大尉のリロイ・ランシング・ジェーンズを教師に招いて熊本洋学校開校/11月、肥後は熊本県と八代県になる。人吉県は八代県に、天草は長崎県から八代県に編入
1872(明治5)年 ●この年のできごと 6月、熊本県は白川県と改称/7月、熊本新町に郵便役所設置
1873(明治6)年 1月、東京で日本最初の評論雑誌『評論雑誌』創刊。客員の宮崎八郎らが征韓論や民権論を激しく唱え、西南戦争に影響を与えた/5月、肥後藩下級武士だった水島貫之(みずしま・かんし)と伊喜見文吾(いきみ・ぶんご)が熊本区塩屋町に熊本県で最初の印刷所「活版舎」(舎長・水島)を設立。水島らは長崎の本木昌造に弟子入りし、10日間で印刷術を習得した
●この年のできごと1月、白川県と八代県が合併して白川県に/5月、白川県権令に安岡良亮。実学派が県の要職を追われる。明治政府の中央集権化進む
1874(明治7)年 9月、熊本県で最初の新聞「白川新聞」(のち「熊本新聞」)創刊 1875(明治8)年 ●この年のできごと 3月、熊本郵便局が電信事務開始/4月、民権思想家・宮崎八郎が熊本市植木町に民権派の「植木学校」をつくり、県民会開設運動を展開/この年、洋学校教師ジェーンズ、米から足踏み印刷機を取り寄せる
1876(明治9)年 3月、白川新聞を『熊本新聞』と改題(月ほぼ10回発行、4ページ。明治13年4月から日刊/西南戦争などの報道で支持を得る) /肥後藩出身の林正明が東京で宮崎八郎らと共同社を結成し、機関紙『近事評論』創刊。士族反乱も支持
●この年のできごと1月、花岡山で海老名弾正らがキリスト教入信の誓い(熊本バンド)/2月、白川県を熊本県と改称/9月、熊本洋学校閉鎖/10月、神風連の乱(熊本鎮台を襲撃)
1877(明治10)年 ●この年のできごと 2月、西南戦争起こる。熊本城天守閣炎上
1878(明治11)年 10月、『熊本毎日新聞』創刊
●この年のできごと5月、自由民権派の池松豊記ら「相愛社」結成
1879(明治12)年 ●この年のできごと 12月、佐々友房が「同心学舎」を開校
1881(明治14)年 7月、民権派の相愛社が『東肥新報』創刊/10月、熊本市で国権主義の『日本新聞』創刊(のち『不知火新聞』。明治15年、『紫溟新報』に吸収される)
●この年のできごと9月、自由民権運動に対抗し、主権在君、国権拡張などを唱える国権派(学校党と実学党坪井派)が政治結社「紫溟会」(しめいかい)結成
1882(明治15)年 国権党が「紫溟新報」創刊(1888年に「九州日日新聞」に改題) 1883(明治16)年 1月、紫溟新報が日刊に 1886(明治19)年 ●この年のできごと 10月、24歳の徳富蘇峰が『将来之日本』出版
1887(明治20)年 ●この年のできごと 2月、徳富蘇峰、民友社を設立し雑誌『国民の友』創刊/5月、第五高等中学校(五高)設立
1888(明治21)年 10月、紫溟新報を『九州日日新聞』(以下、九日)と改題 1889(明治22)年 1月、紫溟会を母体に「国権党」結成/2月、国会開設を控えて改進党が『海西日報』創刊
●この年のできごと4月、熊本市誕生。人口4万2千/7月、立田山麓の黒髪村(熊本市東部)に五高の新校舎完成
1890(明治23)年 4月、九日第3代社長に佐々友房/11月、海西日報を『九州自由新聞』に改題(日清戦争時の巨額の電報料が経営を圧迫。明治30年、終刊) 1891(明治24)年 ●この年のできごと 8月、文部省参事官・嘉納治五郎(柔道の講道館創始者)が五高の第3代校長に決定/11月、ラフカディオ・ハーン、五高教師として松江より着任
1894(明治27)年 11月、安達謙蔵が朝鮮の釜山(プサン)で『朝鮮時報』創刊
●この年のできごと8月、清国に宣戦布告し、日清戦争起こる/10月、神戸クロニクル社へ転出のハーンが熊本を去る
1895(明治28)年 安達謙蔵、朝鮮の京城(ソウル)で『漢城新報』創刊。同人には九日関係者多数
●この年のできごと11月、英国人女性ハンナ・リデルが黒髪村にハンセン病者救済の回春病院開設
1896(明治29)年 12月、政党紙に押され経営難から『熊本新聞』が無期限休刊に
●この年のできごと4月、夏目金之助(漱石)、五高教師として着任/12月、留学先のフランスから戻った池辺三山=熊本市出身=が大阪朝日に主筆で入社(のち東京朝日主筆に)
1897(明治30)年 ●この年のできごと 1月、尾崎紅葉の小説『金色夜叉』(こんじきやしゃ)、読売で連載始まる/鳥居素川(とりい・そせん)が新聞『日本』を経て大阪朝日入社、編集幹部となる/11月、中国の革命家・孫文が熊本県荒尾の宮崎家に滞在
1898(明治31)年 1月、九州自由新聞が『九州新聞』と改題(社屋は熊本市塩屋町)
●この年のできごと10月ころ、夏目漱石や五高生・寺田寅彦、渋川玄耳(しぶかわ・げんじ)らが新派俳句の同人会「紫溟吟社」(しめいぎんしゃ)結成
1900(明治33)年 ●この年のできごと 秋、熊本市の遊郭「東雲楼」(しののめろう)で娼妓のストライキ/12月、第一、第二済々黌が県立となり、「中学済々黌」「熊本中学校」と改称
1901(明治34)年 11月、九日主催で第一回熊本県学校野球大会開く 1902(明治35)年 九日に中山霞山が入社、肥後狂句を盛んにする/九日が8月31日付紙面で熊本初の婦人記者募集の社告(明治30年代に入ると生活実用記事への関心高まり、報知新聞の松岡(羽仁)もと子ら新聞各社の女性記者採用が始まる 1903(明治36)年 1月、九州新聞が『熊本毎日新聞』と改題 1904(明治37)年 前年9月、21歳で入社した九日の婦人記者・平山訓(ひらやま・おしえ)=宇城市小川町出身。熊本県の女性記者第1号=が活躍
●この年のできごと2月、日露戦争起こる
1905(明治38)年 4月、熊本市船場町で『九州めさまし新聞』創刊(日刊。のち月2回刊。〝熊本の悪口新聞〟と評されたが大正2年、終刊)/九日がマリノニ式輪転機を設置
●この年のできごと5月、日本海大海戦/9月、徳富蘇峰の国民新聞社襲われる=日比谷焼き打ち事件
1906(明治39)年 2月、熊本実業界が中心となって『九州実業新聞』創刊。社長に池松常雄
●この年のできごと9月、佐々友房が東京で急逝
1907(明治40)年 6月、『熊本評論』創刊(翌年9月、31号で終刊) 1908(明治41)年 1月、九日の社屋が完成/熊本毎日新聞が『九州中央新聞』と改題 1909(明治42)年 6月、福岡日日が『熊本日日新聞』を創刊(昭和3年に廃刊)/7月、九日が久留米支社、鹿児島支局を設置
●この年のできごと11月、門司―鹿児島間で鉄道全通
1910(明治43)年 「九州実業新聞」が「九州新聞」と改める 1911(明治44)年 8月、九日が『筑後新聞』創刊 1912(明治45)年 ●この年のできごと 7月30日、明治天皇崩御
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1912(大正元)年 ●この年のできごと 7月30日、「大正」と改元/9月、乃木希典(のぎ・まれすけ)大将夫妻殉死
1913(大正2)年 ●この年のできごと 2月、徳富蘇峰の国民新聞社が2回目の焼き打ちにあう
1914(大正3)年 1月、桜島が大噴火(死者35人)。九日、各社に先駆け桜島を取材 1915(大正4)年 1月、九州新聞社長に高木第四郎/5月、九日、1万号記念式典 1917(大正6)年 1月、九日の後藤是山(ごとう・ぜざん)が文芸欄を刷新。短歌選者に宇野東風、与謝野晶子、俳句に高浜虚子ら 1918(大正7)年 6月、高群逸枝(たかむれ・いつえ。のちの女性史研究家・詩人)が九日に「娘巡礼記」連載
●この年のできごと寺内内閣を糾弾していた大阪朝日の鳥居素川らが筆禍事件で退社
1919(大正8)年 ●この年のできごと 11月、鳥居素川、伊豆富人(いず・とみと)ら『大正日日新聞』創刊(経営難で翌年解散)
1920(大正9)年 10月、九日社屋が全焼、休刊 1921(大正10)年 2月、九日の伝書バトが久留米―熊本間を飛ぶ/8月、九日本社新館の上棟式/10月、九日の印刷工場焼く 1922(大正11)年 2月、熊本市で普選即行全九州記者大会 1923(大正12)年 5月、九日、新館(上通)に移る/7月、九州新聞が新社屋を熊本市花畑町に建設し、移転(のちの九州産交本社)
●この年のできごと9月、関東大震災
1924(大正13)年 1月、熊本市で護憲九州各県記者大会
●この年のできごと1月、清浦奎吾(きようら・けいご)内閣発足。熊本県人初の総理
1925(大正14)年 1月、九日の連載小説を熊本市の東雲、坪井劇場で脚色上演 1926(大正15)年 1月、九日の活動写真班が県内各地で巡回活動を始める/4月、九日主催「大牟田―熊本伝書鳩競争会」/4月、『熊本雑報』と『熊本商工新聞』が合同し経済紙『九州毎夕新聞』創刊
●この年のできごと7月、五高七高野球戦で応援団衝突/12月25日、大正天皇崩御
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1926(昭和元)年 ●この年のできごと 12月25日、「昭和」と改元
1927(昭和2)年 2月、九日が大正天皇の御大葬実況写真を飛行機(東京―福岡間)で速達輸送/4月、九日が雑誌『月刊画報』創刊/8月、九日社説「速に撤兵せよ」で山東出兵問題非難/9月、九日と九州が夕刊(4ページ)発行
●この年のできごと5月、日本放送協会九州支部設立/7月、干ばつのため白川分水問題が各地で起こる/9月、徳冨蘆花、蘇峰と和解のあと群馬県伊香保で没、60歳/10月、普通選挙による最初の県会議員総選挙/11月、熊本市営バス運航開始
1928(昭和3)年 1月、熊本日日新聞(福日系)を福岡日日新聞熊本版に変更/5月、九州が「ラジオとキネマ」(映画)欄新設。九日は「ラジオ欄」新設
●この年のできごと2月、国鉄高森線開通/3月、京大火山研究所を阿蘇に設置/4月、熊本中央放送局(JOGK)に九州初の女子アナ採用/5月、蘇峰「文章報国40年祝賀会」を東京と熊本で開催/9月、豊肥線全通
1929(昭和4)年 6月、九日夕刊に政治漫画登場「閉店前の一策」/7月、九日監督の安達謙蔵、内務大臣就任/10月、九日写真部撮影場落成し一般営業開始/12月、九日営業写真場前に時事写真速報台設置
●この年のできごとこの年、毎日新聞熊本通信部が支局昇格
1月、徳富蘇峰が国民新聞社を去る(4月に大阪毎日、東京の社賓に)/7月、水前寺動物園開園1930(昭和5)年 2月、九日社長山田珠一、熊本市名誉市長に就任、九日監督となる/3月、朝日新聞熊本版発行/4月、九州主催「第1回熊本女流絵画展覧会」(勧業館)/11月、九日が代理部設置し、明治生命保険会社の代理店業始める
●この年のできごと4月、熊本市勧業館が開館/6月、八木百貨店開業(紺屋町)/10月、熊本市公会堂落成式/10月、銀丁百貨店開業(新市街)/11月、阿蘇火山測候所設置/12月、九州電力株式会社創立総会
1931(昭和6)年 4月、九州社長高木第四郎が名古屋の新聞協会総会で毎月1回公休を提案//7月、九州浴場新聞社(熊本市京町)が『九州浴場新聞』創刊/11月、九日が陸軍大演習グラビア版発行/12月、九日が特別大演習写真帳を発行。九日監督の安達謙蔵は大演習行事に随伴
●この年のできごと1月、高橋守雄、台湾総務長官に任命される/6月、内田康哉(氷川町出身)、満鉄総裁に決定/10月、千徳百貨店新館落成。5階建てで熊本初のエレベーターを設置/11月、熊本大演習と地方行幸のため天皇ご来県
1932(昭和7)年 2月、九日がニュース見出しに初めてカットを使用「暴虐なる弾圧を蹴散らし勇往邁進せよ!」(5段ベタ黒)/4月、九日に連載マンガ登場(四方平の『女は強い』)/8月、九日が第10回のロス五輪を報道。全ページ大の号外「オリンピック写真画報」相次ぐ/9月、九日主催で「満州事変記念映画の夕」(熊本市公会堂)
●この年のできごと3月、『熊本市史』刊行/5月、放送協会九州支部聴取者100万突破祝賀会開催/5月、城戸元亮(きど・もとすけ)、大阪毎日専務となる/7月、民政党県支部が分裂/8月、阿蘇登山バス開業/12月、安達謙蔵が「国民同盟」を結成し、総裁就任/12月、熊延鉄道の甲佐―砥用(ともち)間開通
1933(昭和8)年 ●この年のできごと 10月、玉名市出身で大阪毎日の取締役会長だった城戸元亮が社内を二分する派閥争い=城戸事件=で解任され退社
1934(昭和9) 2月、九日監督の山田珠一、熊本市長に再選される/3月、九州が1万号。朝夕刊とも24ページ/4月、九州が1万号大祝典
●この年のできごと5月、日本放送協会九州支部を「熊本中央放送局」と改称/10月、県国防協会発令式/12月、阿蘇国立公園正式決定
1935(昭和10)年 4月、熊本市で日本新聞協会大会。金婚の徳富蘇峰夫妻に新聞協会から寿像を贈呈/8月、九日、「読者の声」欄新設/9月、水前寺球場で九日招待東京巨人軍対熊鉄野球戦。1―0で熊鉄勝つ(巨人のスタルヒン、沢村栄治も登板)
●この年のできごと3月、熊本大博覧会
1936(昭和11)年 3月、九州主幹の高木亮が2・26事件批判の署名論評
●この年のできごと2月、2・26事件。関係将校に熊本出身者3人
1937(昭和12)年 5月、九日に超高速度輪転機を設置(印刷能力1時間5、6万枚。色刷り開始)/12月、九日、1面に日の丸(赤色刷り)登場。南京陥落祝賀で掲載
●この年のできごと5月、ヘレン・ケラー来熊/11月、神宮体育大会の中等野球で川上哲治―吉原正喜の熊工が優勝
1938(昭和13)年 3月、九日、朝鮮支局を設置
●この年のできごと3月、熊工の〝黄金バッテリー〟川上と吉原が巨人軍入団/5月、荒木精之が雑誌『日本談義』創刊/6月、高群逸枝『大日本女性史』第1巻「母系制の研究」を刊行(序文は徳富蘇峰)
1939(昭和14)年 11月12日付「東京だより」で九日社長の深水清がソ連との戦争拡大を批判(憲兵隊の取り調べを受け翌15年2月、社長辞任)
●この年のできごと2月、熊本市初の隣保組合誕生=河原町婦人会/4月、熊本市内のタクシーがメーター制となる
1940(昭和15)年 1月、九日社長に伊豆富人/7月、九州と九日が週2回減ページ/11月、九日が「1行15字詰め15段制」採用
●この年のできごと8月、国民精神総動員県支部発足/12月、大政翼賛会県支部結成
1941(昭和16)年 5月、九日3面に「あの町この町」掲載始まる。「町村」の初め/8月、九日が「紙面大刷新」で地方部を新設/12月、新聞連盟九州地区加盟新聞社が「共販制」(共同配達、集金、輸送など)実施に入る
●この年のできごと3月、県文化協会発足。会長に佐々国雄/8月、熊本市民の県外旅行が許可制に/12月10日、英米撃滅県民大会
1942(昭和17)年 4月、九州日日新聞、九州新聞合併で熊本日日新聞創刊 1943(昭和18)年 11月、新聞の新規購読を受け付けず、転居に移転証明書を必要とする
●この年のできごと1月、金属類特別回収始まる/4月、九学は九州中学校、九女は清水高女と改称し、朝の礼拝と聖書朗読を廃止/県内に警戒警報発令
1944(昭和19)年 3月、戦時下で熊日夕刊発行を休止/12月、熊日に工務局新設。活版、印刷、写真、整備の4部制
●この年のできごと3月、熊本女子挺身隊(ていしんたい)結成/5月、宮本武蔵300年祭/6月、産交が大阿蘇交通を合併/8月、沖縄の疎開児が熊本に来る
1945(昭和20)年 4月、熊日の発行部数8万6439部。朝刊2ページ/4月、熊日が朝日、毎日、西日本の持ち分合同印刷(3紙の県内部数を合わせて印刷。3紙の県内販売は停止)を引き受け、自社題字下に三社名を並べる/7月3日、空襲による動力源損傷のため熊日が西日本に印刷を依頼
●この年のできごと2月、県内映画館20館休館/3月、米艦載機が県内各地を空襲/5月、県内各地に国民義勇隊発足/7月1~2日、米軍の「B29」154機が熊本市を空襲/7月27日、荒尾・大牟田空襲/8月10日、熊本市、宇土町、水俣町など空襲/8月15日、敗戦
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1945(昭和20)年 10月、熊日コラム「新生面」スタート/11月、熊日で毎週月曜に那須良輔の連載マンガ「クマさん一族」始まる
●この年のできごと10月5日、占領軍第1陣が熊本着/11月、熊本文化協会発足/12月、熊本陸軍病院が「国立病院」と改称
1947(昭和22)年 1月3日、見出しに〝左横書き〟採用
●この年のできごと4月、第1回公選知事に桜井三郎当選
1948(昭和23)年 12月、『熊日こども新聞』創刊(毎週土曜発行)
●この年のできごと3月、旧制中学校最後の卒業式/11月、文芸誌『詩と真実』創刊/12月、人吉市祈とう師一家殺傷事件(免田事件)
1949(昭和24)年 3月、熊日紙面は「1行15字18段」と最小活字・最大段数に/10月、『夕刊くまもと』創刊(3万部発行)
●この年のできごと1月、宮原町(現・氷川町)出身の上田碩三(うえだ・せきぞう。同盟通信社編集局長、電通社長など歴任)がUPI通信社副社長マイルス・ボーンとカモ猟に出掛けた東京湾で遭難死(翌年、2人の功績をたたえ、優れた国際報道に贈られる「ボーン・上田記念国際記者賞」が設けられた)/5月29日~6月1日、昭和天皇、戦後初のご来県(熊日へも)
1950(昭和25)年 12月、熊日こども新聞廃刊(173号)/12月26日、全国に先駆け、熊日が「1行15字詰め15段」実施(戦中戦後の一時期は用紙事情の悪化による減ページに伴い、記事を多く入れるために文字を小さくしなければならなかった)/この年、熊日編集局に電送写真機設置
●この年のできごと1月、五高最後の卒業式。63年の歴史に幕/3月、熊本地裁で免田栄被告に死刑判決/4月、県庁本館が熊本市花畑町に移転落成/5月、熊本女子大が大江町新校舎に移転
1951(昭和26)年 1月、熊日が夕刊くまもとを合体
●この年のできごと4月、熊本市に海老原美術研究所(エビ研)発足
1952(昭和27)年 2月、第1回郡市対抗縦断熊日駅伝/7月、夕刊くまもとを熊日夕刊と改称
●この年のできごと6月、鶴屋百貨店開業/10月、大洋百貨店開業
1953(昭和28)年 6月、6・26水害で熊日の印刷機能喪失。南日本新聞の協力受ける
10月、ラジオ熊本(RKK)開局1954(昭和29)年 8月1日、熊日に水俣病の記事初掲載(「猫てんかんで全滅」)/8月、熊日本社―東京間専用電話開通
●この年のできごと7月、国警と自治体警察が一本化し、県警察本部発足/熊本市清水町に陸上自衛隊熊本駐屯地開設
1955(昭和30)年 ●この年のできごと 11月、熊本―八代、熊本―川尻間に県内最初の即時通話開通/12月、熊本市健軍町に自衛隊西部方面総監部・第八混成団が発足
1956(昭和31)年 ●この年のできごと 2月、五家荘に電灯ともる/5月、新日本窒素の付属病院が奇病患者多発と保健所に報告=水俣病発生の公式確認/7月、雲仙天草国立公園が決定/10月、進駐軍総引き揚げ
1957(昭和32)年 3月、第1回熊日招待マラソン(30㌔)
●この年のできごと1月、国と阿蘇町で阿蘇火口の所有権争い表面化/7月、金峰山一帯で山津波。死者171人/11月2日、徳富蘇峰死去(94歳)/11月、熊本市の電話がダイヤル式に
1958(昭和33)年 2月、NHK熊本がテレビ本放送開始
●この年のできごと4月、第30回選抜高校野球で済々黌が中京商を破り九州勢初優勝/6月24日、阿蘇中岳大爆発、死者12人
1959(昭和34)年 4月1日、ラジオ熊本が熊本市山崎町の新社屋でテレビ放送開始/7月、第1回熊日緑のリボン賞表彰/9月、第1回金婚夫婦表彰/12月、第1回熊日文学賞贈呈
●この年のできごと7月、田中聡子が水泳200㍍背泳ぎで世界新
1960(昭和35)年 8月、熊日夕刊1面コラム「黙鼓子」(もっこす)スタート/9月23日、全国に先駆け熊日題字上に朱色刷りの日の丸(9月1日付社説見出し=「日の丸をかかげよう」「独立国の誇りもて」「君が代も平和の歌」)/9月、第1回熊日写真展/10月、熊日に漢字テレタイプと全自動モノタイプ設置=新聞製作の機械化/11月、第1回熊日書道展/この年、第1回農業経営コンクール実施
●この年のできごと2月、鹿児島県に初の水俣病患者/3月、三井三池炭鉱三川鉱で3000人が乱闘=三池争議/4月1日、熊本空港(熊本市健軍)オープン/9月、熊本城天守閣再建落成/9、10月、熊本国体
1961(昭和36)年 6月、ラジオ熊本が「熊本放送」と改称/11月、第1回熊本・長崎・大分対抗九州横断駅伝大会(熊日など主催)
●この年のできごと10月、国鉄の東京行き特急「みずほ」第1号走る
1962(昭和37)年 ●この年のできごと 3月、熊本城再建を祝う「くまもと博覧会」開幕/5月、牛深出身の栃光が大相撲の大関昇進/7月、天草架橋が起工式
1963(昭和38)年 3月、熊日内に「熊本善意銀行」オープン
●この年のできごと10月、県文化懇話会発足/11月、大牟田の三井三川鉱で炭じん爆発。死者457人
1964(昭和39)年 1月、熊日が「道徳再建運動」提唱/10月、NHK熊本がテレビの本放送開始
●この年のできごと6月、下筌(しもうけ)ダム建設に反対する室原知幸の「蜂ノ巣トリデ」が落城/7月、全日空の熊本―東京直行便就航/10月、九州横断道路が全通/11月、熊本―東京間電話が即時通話に
1965(昭和40)年 1月、日曜夕刊が休刊へ(新聞配達少年の休養のため) 1966(昭和41)年 1月より熊日、土建暴力追放キャンペーン(戦後、暴力団関係者の多くが土建業に転向し、過当競争から無法状態化)/3月、写真愛好家の熊日フォトサークル結成
●この年のできごと2月、熊本市にワンマン電車登場/6月、水前寺公園入園料徴収で紛糾/7月、荒尾市に三井グリーンランドがオープン/9月、天草五橋開通
1968(昭和43)年 ●この年のできごと 1月、熊本市民会館落成/9月26日、園田直厚生相が水俣病を公害病と認定
1969(昭和44)年 4月、テレビ熊本が本放送開始/10月、熊日が1万号に
●この年のできごと2月、熊大教養学部が生協問題でスト突入/3月、熊本交通センター開業/4月、熊本水辺動物園が江津湖畔に開園/7月、五高の赤レンガ本館、国の重要文化財に
1970(昭和45)年 12月、第1回熊日スポーツ賞表彰
●この年のできごと4月、熊本市電の上熊本―藤崎宮と南熊本―辛島町間を廃止/9月、熊本市に徳富記念館開館/11月、県文化協会発会
1971(昭和46)年 9月、熊日の夕刊2ページ増で6ページ体制へ。夕刊に「電話で話そう・ハイこちら編集局」スタート/10月、熊本市で第24回新聞大会
●この年のできごと4月、新熊本空港オープン/6月、九州自動車道の植木―熊本間開通
1973(昭和48)年 11月、石油危機で熊日、夕刊を2ページ減
●この年のできごと4月、日立造船有明工場が操業開始/7月、水俣病補償協定書に調印/10月、岩田屋伊勢丹と熊本センタープラザ開店/11月29日、大洋百貨店火災で死者104人
1975(昭和50)年 2月/第1回郡市対抗熊日駅伝/8月、第1回熊日学童オリンピック
●この年のできごと7月、熊本―沖縄の航空路開設
1976(昭和51)年 4月、熊日とRKK制作のニュース番組「ワイド6」スタート/7月27日、ロッキード事件で田中角栄元首相逮捕。熊日号外は最大級の凸版見出しで報道
●この年のできごと1月、県議会が川辺川ダムを承認/3月、県立美術館オープン/8月、銀丁百貨店閉店/10月、天草郡苓北町と上海市を結ぶ日中海底ケーブル開通
1977(昭和52)年 ●この年のできごと 3月、本田技研熊本工場が完工/4月、人吉ループ橋開通/5月、熊本市の人口50万人を突破
1978(昭和53)年 ●この年のできごと 4月、熊本市立熊本博物館と山鹿市立博物館開館/6月、熊本市に夏目漱石記念館開館/6月、大洋百貨店閉店/11月、県民総合運動公園完成
1979(昭和54)年 12月、熊日創刊号からのマイクロフィルム化完了
●この年のできごと4月、第一相研の「ねずみ講」終結宣言/9月、阿蘇中岳爆発で14人死傷/9月、福岡高裁が免田事件の再審決定/9月、熊本―ソウル定期航空路開設
1980(昭和55)年 3月、第1回熊日出版文化賞贈呈/9月、熊日の新聞製作センター(熊本市世安町)の起工式/10月、熊日のCTS化(鉛活字からコンピューターによる新聞作り)スタート
●この年のできごと4月、九州東海大学農学部開校/4月、熊本市にダイエー熊本店開店/4月、日本セメント八代工場閉鎖
1981(昭和56)年 2月、明治期~熊日合併までの新聞マイクロフィルム収録完了/7月、熊日と朝日が大型文字を採用し、1段14字詰め(従来は15字詰め)に/10月、熊日新聞制作センター(地上4階、地下1階)が完工
●この年のできごと3月、熊本市産業文化会館オープン/11月、熊本市の新庁舎落成
1982(昭和57)年 1月5日、熊日朝刊が30万部突破/1月30日、熊日で活字納めの式。鉛活字による印刷終わる/4月、熊本県民テレビが本放送開始/5月、熊日製作センターの見学案内スタート/8月、熊日の事務処理に初めてワープロを採用/9月、読者の声を聞く熊日モニター制度スタート
●この年のできごと1月、光岡明・熊日編集局次長が「機雷」で第86回直木賞/2月、社会党書記長に馬場昇氏/7月、熊本市に横井小楠記念館開館/7月、阿蘇火山博物館オープン/7月、県と米モンタナ州が友好提携に調印/8月、県伝統工芸館オープン/10月、県立総合体育館オープン/12月、県立劇場オープン
1983(昭和58)年 7月、熊日、大型文字(1行13字、1ページ86行体制)へ全面移行/8月、熊日の朝夕刊セット部数10万部突破/11月、第1回熊日郡市対抗女子駅伝
●この年のできごと1月、中原利丸・県酪連会長の県知事選立候補妨害事件/4月、熊本空港国際線ターミナルがオープン/7月、再審裁判で熊本地裁が免田栄被告に無罪判決/11月、日本マラソンの父・金栗四三死去(92歳)/11月、水俣市立蘇峰記念館開館
1984(昭和59)年 5月、熊本市で全日本広告連盟大会
●この年のできごと2月、熊本市と周辺15町村の市内局番が3ケタに/2月、熊本など全国6カ所がテクノポリス指定内定/6月、辛子レンコン中毒事件で11人死亡/8月、ロス五輪で柔道の山下泰裕が金メダル
1985(昭和60)年 11月、FM中九州が本放送開始
●この年のできごと5月、阿蘇で全国植樹祭/10月、県立図書館と熊本近代文学館オープン
1986(昭和61)年 7月、熊日が衆参同日選の開票速報や当落予想にパソコンを初使用
●この年のできごと2月、熊本電鉄の御代志駅―菊池駅間を廃止/4月、第3セクターの南阿蘇鉄道開業/9月、環境庁が阿蘇国立公園を「阿蘇くじゅう国立公園」と改称/11月、テクノポリスセンター完成/12月、熊大病院でエイズの疑いのある男性患者確認=九州初
1987(昭和62)年 熊本市世安町に全国最初の新聞博物館を開設 1988(昭和63)年 5月14日、常陸宮ご夫妻、新聞博物館へ
●この年のできごと山鹿市の八千代座が国の重要文化財に
1989(昭和64)年 ●この年のできごと 1月7日、昭和天皇崩御
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1989(平成元)年 4月、熊日ニュース面が1ページ丸ごとコンピューターで作るフルページ移行を開始/10月、熊本朝日放送開局/11月、熊日、フルページシステム(全紙面をコンピューターで製作)へ完全移行
●この年のできごと4月、熊本市制100周年/10月、第3セクターのくま川鉄道開業/12月、九州自動車道八代―人吉開通
1990(平成2)年 8月、NIE(教育に新聞を)活動が本格スタート
●この年のできごと7月、阿蘇の土石流災害で11人死亡/10月、波野村のオウム真理教を県警が強制捜査
1992(平成4)年 1月、熊日文化スポーツ基金創設/4月、熊日夕刊の横題字スタート/10月、熊日世安センター2号館完成/10月、熊日写真部にネガカラー自動現像機と自動プリンターを導入
●この年のできごと3月、ペルーのアルベルト・フジモリ大統領(両親=熊本市河内町出身)が来熊/4月、熊本ファミリー銀行発足
1993(平成5)年 ●この年のできごと 8月、細川護熙・日本新党代表が国会で首相に指名される。県出身としては69年ぶり
1994(平成6)年 7月、熊本都市圏を対象とする熊日の生活情報誌『すぱいす』創刊
●この年のできごと4月、細川首相が突然辞意を表明、263日で退陣/4月、熊本女子大が男女共学の県立大に。熊本商大・短大は学園大としてスタート
1995(平成7)年 ●この年のできごと 1月、阪神淡路大震災/7月、九州自動車道の人吉―えびの間開通(日本縦断ハイウエーが完成)/12月、九州電力苓北火力発電所が営業運転開始
1996(平成8)年 4月、夏目漱石の来熊100年を記念するイベント「くまもと漱石博」開幕、熊日は総合事務局となる
●この年のできごと8月、甲子園大会で熊工が松山商と対戦し準優勝/8月、オウム真理教信者が波野村から完全撤退
1997(平成9)年 3月、熊日で写真のカラー化進み、写真部の白黒フィルム現像暗室を廃止/4月、熊日のインターネット・ホームページの「熊本グリーンページ」本オープン
●この年のできごと3月、三池炭鉱が閉山し、108年の歴史に幕。従業員1700人も解雇/4月、熊大が国内初のエイズ学研究センター開設/5月、男子世界ハンドボール選手権熊本大会/8月、県内最長の牛深ハイヤ大橋完成/12月、天草の羊角湾干拓事業の廃止決定
1998(平成10)年 7月、新聞博物館が熊日2号館5階に移転、オープン