勇気ある記者
昭和8(1933)年、軍隊の関東地方防空大演習を批判した有名な社説を探してごらん。書いたのは長野県の信濃毎日(しなのまいにち)新聞社の桐生悠々(きりゅう・ゆうゆう)。東京の空を敵の飛行機が飛ぶのは負けたも同じ。訓練は大して役に立たないというので陸軍は激怒(げきど)し、彼は新聞社を辞(や)めた。でも、その勇気は高く評価されているんだよ。
戦時中の新聞
「平和の敵米英打倒へ」「真珠湾(しんじゅわん)で米太平洋艦隊撃滅」。これらは昭和16(1941)年12月、日本が太平洋戦争に突入した時の新聞の見出しだよ。ハワイの現地紙の号外や兵隊に呼び出される臨時の召集令状(しょうしゅうれいじょう)=赤紙(あかがみ)も展示。戦争終結を告げる紙面もあるけど、新聞が言論の自由を取り戻すのは数年後なんだ。
日本の経済成長期
昭和30年代の日本は経済成長期に入り、世界では宇宙競争も激化する。東京オリンピック(昭和39=1964=年)、水俣病の公害認定(昭和43年)、沖縄の日本復帰(昭和47年)、大洋デパート火災(昭和48年)、ロッキード事件と田中前首相逮捕(昭和51年)などを経て、平成の幕開けまでを博物館で確かめるのも楽しいよ。
那須良輔さんの漫画
博物館には政治家のサッチャーさんや吉田茂さん、野球の長嶋茂雄さんらの似顔絵がある。湯前町出身の那須良輔(なす・りょうすけ)さん(平成元年死去)の作品だよ。漫画家の那須さんは熊日東京支局員として上京。その後、毎日新聞で政界を風刺した政治漫画で有名になった。湯前まんが美術館ができる時は新聞博物館が作品整理を手伝ったよ。
最新のニュースも
新聞博物館に入ると時々「ピーコ」や「ポワン、ポワン」と変わった音が聞こえる。これ、東京の共同通信社から全国一斉に流れる世界と日本のニュースや原稿の送信案内なんだ。共同通信は熊日を含む全国の地方紙などが共同運営する通信社だよ。新聞博物館は展示を見ながら最新のニュースも聞けるんだ。