日本で一番目にできた新聞博物館

熊本日日新聞社

ぷれすけ

「毎日」を全国紙に

徳冨蘇峰より10歳年上で、毎日新聞を全国紙へ発展させたのが熊本市出身の本山彦一だよ。福沢諭吉(ふくざわ・ゆきち)が経営する時事新報(じじしんぽう)で編集長。大阪の毎日新聞に入った4年後に社長となり毎日の東京進出に力を尽くした。「立派な商品」としての新聞作りに努めた人で、蘇峰の新聞社が苦しくなった時は彼を助けてもいるよ。

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「電通」をつくる

とがった頭、丸めがね、八の字ヒゲのおじさんの写真が博物館に飾ってある。世界的な広告企業、電通をつくった氷川町出身の光永星郎(みつなが・ほしお)だよ。日清戦争では「めさまし新聞」の従軍記者。1901(明治34)年に広告会社、さらに電報通信社も始めた。電通の通信部は現在の共同通信に引き継がれているんだよ。

生涯一記者

後藤是山(ごとう・ぜざん)って知ってる?「生涯一記者」を貫いた人でね、熊日の前身の九州日日新聞の編集長・主筆(記者のトップ)として文芸欄を充実させた。徳冨蘆花(とくとみ・ろか)や与謝野鉄幹(よさの・てっかん)・晶子(あきこ)夫妻、俳句の高浜虚子(たかはま・きょし)らとも交流し、俳人や歌人としても知られた。武家屋敷の特徴を持つ熊本市水前寺の旧居は記念館になっているよ。

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蘆花の机

博物館にある古めかしい机、これは徳冨蘆花(とくとみ・ろか)が使っていたんだ。蘆花は明治、大正の売れっ子作家。兄はジャーナリストの徳冨蘇峰(とくとみ・そほう)だよ。机は21歳の蘆花が外国雑誌の写真などを参考に作らせた。斜めになった机の右端には書道具を入れる硯台(すずりだい)が付いているよ。後年、九州日日記者の後藤是山(ごとう・ぜざん)に譲られたものなんだ。

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熊本最初の女性記者

新聞の歩みのコーナーの和服の美人は誰?熊本最初の女性記者平山訓(ひらやま・おしえ)だよ。明治30年代には生活実用記事が新聞に登場するんだ。小川町(現宇城市)出身で1児の母の彼女は21歳で九州日日新聞に入り「婦人及び家庭」欄を担当。東京に移るまで幼稚園や女性労働者のルポなど署名記事をたくさん書いたよ。