記者もしていたハーン
明治時代に熊本の五高で英語を教えたラフカディオ・ハーンの資料が博物館にもあるよ。文学者、教師、民俗学者の顔を持つ彼は新聞と関係が深いからね。来日前のアメリカでも記者となり、美しい文章で評判を取った。熊本の後も神戸の英字新聞社で論説委員として活躍。聞き書きの名手でもあったんだ。
ハーンも尊敬した秋月
柔道を始めた嘉納治五郎(かのう・じごろう)は熊本の五高の校長だった。その送別会の写真に注目してほしい。白ひげの男性が秋月悌次郎(あきづき・ていじろう)。元は会津藩(福島県)の侍で、五高では倫理を教えていた。ストーブのように心が温かくて「神様のような人」とラフカディオ・ハーンは尊敬した。ハーンの長男の誕生を祝って贈った秋月の書も飾ってあるよ。
漱石のことも学べる
正岡子規(まさおか・しき)は明治時代に俳句や短歌の改革運動をした人。夏目漱石(なつめ・そうせき)は子規の友人で、熊本の五高の英語の先生だった。子規は新聞「日本」の記者をしたし、漱石も新聞小説家となって『草枕』などを書いた。熊本で結婚し、パパとなり、たくさんの俳句も作った漱石先生のことは新聞博物館でも勉強できるよ。
特産は新聞記者
明治時代は「熊本の新聞記者。鹿児島の警察官」と言われたほど言論人が多かった。代表が徳富蘇峰(とくとみ・そほう)。彼自身、「熊本の特産は新聞記者と朝鮮飴(ちょうせんあめ)だ」と言って笑わせた。熊本洋学校や京都の同志社で学び、雑誌「国民の友」や国民新聞で活躍した。博物館には原稿も展示している。弟の蘆花(ろか)は流行作家だったんだよ。
新聞五人男
熊本の「新聞五人男」と呼ばれるのが徳富蘇峰(とくとみ・そほう)、池辺三山(いけべ・さんざん)、鳥居素川(とりい・そせん)、本山彦一(もとやま・ひこいち)、光永星郎(みつなが・ほしお)だよ。池辺は日本新聞社と大阪朝日や東京朝日で活躍。朝日新聞に夏目漱石らの人材を集めたことで知られる。鳥居も日本新聞記者の後、大阪朝日に入り、先輩の池辺に漱石を推薦した。博物館で二人の書を探してごらん。