日本で一番目にできた新聞博物館

熊本日日新聞社

ぷれすけ

スピグラ

博物館にあるカメラの中で一番堂々としているのが「スピグラ」。戦後の代表格で新聞社カメラマンの象徴だった。正式にはスピード・グラフィック。昭和20年代から30年代まで「夢のカメラ」として大活躍したんだよ。
ボディーにピント調整の蛇腹(じゃばら)が付き、横には照明用のフラッシュガンを固定。熊日第1号のスピグラは昭和22年ころアメリカ軍兵士から手に入れたものなんだ。

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35ミリから一眼レフへ

大きなスピード・グラフィック(スピグラ)の前に座っているのは小型の35ミリカメラ。昭和30年代に登場、軽くて操作(そうさ)も簡単で人気者になった。
その後に普及したのが一眼(いちがん)レフカメラ。レンズ交換でき、スポーツ取材で特に力を発揮。1964年の東京オリンピックでは超望遠(ちょうぼうえん)レンズをつけて大活躍した。その陰で重くて操作も大変なスピグラは姿を消していったよ。

取材はデジカメ

現在のカメラはデジタルカメラ。以前は画像(がぞう)をフィルムに写し込み、現像(げんぞう)という手間がかかった。画像をその場で見られないから、よく失敗して頭をかいたけどね。デジカメは画像を電気信号として写し取る。画像はその場で見られて、パソコンですぐ遠くへも送信できる。熊日は1996(平成8)年から使い始め、今はすべての写真取材がデジカメなんだよ。

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日本で最初

新聞社に博物館って不思議かもね。これは500年も続いた鉛活字からコンピューターで紙面を作るようになって、新聞の新しい時代が来たことが大きいね。
新聞の歴史を伝え、貴重なお宝や現代の資料も保存して未来に残そうと、1987年に誕生した日本最初の新聞博物館なんだ。

ぷれすけ
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資料は全国から

新聞博物館の名前には「熊日」も「熊本」もついていない。横浜市の日本新聞博物館より13年早く1987年10月に誕生した日本最初の新聞博物館だからね。新聞作りの機械を保存、新聞の歴史も紹介し、新しい時代の博物館にしようと資料を全国から集めた。最初は熊本南警察署跡地の白い建物だったんだよ。