日本で一番目にできた新聞博物館

熊本日日新聞社

ぷれすけ

印刷の原点

ドイツ人のグーテンベルクを知ってるかな。金属活字を使った印刷機を発明した人だよ。それまでは一つ一つ書き写していたから大変な時間がかかったけど、彼の発明で本が大量に作れるようになった。
現代の印刷の原点なんだ。新聞博物館にある印刷機は日本でも数少ない木製の複製で、ドイツにある本物の80%の大きさなんだ。大きいからすぐわかるよ。

ぷれすけ

記事を運んだハト

博物館には伝書バトの剝製(はくせい)があるから探してみてよ。昭和30年代初めまで、急ぎの時は記事の原稿や写真フィルムをハトに運ばせていた。共同通信社は500羽を飼っていたそうだよ。
ハトは巣(す)に帰る本能がある。山奥の事件取材で足にメモをつけて放すと、帰り着いたハトのメモを見た人が、本社に電話連絡することもあったんだよ。

国産第1号ワープロ

記者は今、パソコンで原稿を書くけど、その前はワープロを使っていた。1978(昭和53)年に東芝が開発した国産第1号のワープロを博物館に展示している。当時は630万円もしたんだ。
それまでは約4000の鉛活字が並ぶ台から手で選び出していた。ワープロの隣には邦文タイプライターを展示。昭和50年代まで使われ、ワープロの登場で消えたんだ。

ぷれすけ

鉛の文字

コンピューターの時代が来るまで、新聞は鉛の活字を1字ずつ拾って紙面を作っていた。熟練者(じゅくれんしゃ)の名人芸で1分間に30~40字を選び出していたんだよ。
手作業による紙面作りが終わったのは昭和57(1982)年1月末。新聞博物館には約4000種の鉛文字が並ぶ文選台(ぶんせんだい)が展示してあるよ。

ぷれすけ
ぷれすけ

名人芸を機械化

博物館で「モノタイプ」と「さん孔(こう)機」という機械を探してごらん。1960年代に登場、文字を手で一つ一つ拾う名人芸の作業が機械化されたんだ。
記者が書いた記事はタイプライターのような漢字キーボードで打ち込み、さん孔機で穴のあいた紙テープを作る。穴のあき方で文字を表した。その紙テープを読んで活字を作ったのが全自動モノタイプ。1分間に120字を作る能力があったんだよ。