スペイン風邪について
第1次世界大戦中の1918(大正7)年〜20(大正9)年に世界各国で広がったインフルエンザ。 世界人口の3分の1、約5億人が感染し、推計2,000万〜5,000万人が死亡したという人類史上最悪の感染症の一つ。アメリカ合衆国でまず流行し、その後、アメリカの参戦でヨーロッパでも大流行した。20〜40歳代の兵士たちを中心に犠牲者が多かったのも特徴。戦時中で報道が制限されるなか、中立国で情報統制されていなかったスペインで大きく報じられたことからこの名称がついた。1933年にウイルスが初めて分離され、原因はH1N1亜型のインフルエンザウイルスとわかった。
日本では1918年10月から流行が始まり、20年にかけて3回の大流行がみられる。内務省衛生局編「流行性感冒(かんぼう)」によると、第1波(18年8月〜19年7月)の患者数は約2,116万人、当時の国民の約37%が罹患したという。死者は約25万人にのぼる。第2波(19年9月〜20年7月)は患者数約241万人、死者約12万人。第3波(20年8月〜21年7月)は患者数22万人、死者3,698人。内務省では、うがい、マスクの着用、病人の隔離などを呼び掛けるポスターも作製した。ただ、まだウイルスが発見されていないのに、予防注射と称されるものをすすめるなど当時の混乱した状況もうかがえる。
熊本県内では18年10月26日付の九州日日新聞が「流行性感冒各地を襲ふ」の見出しで報じたのが皮切り。学校の休校や郵便局の閉鎖などが相次いでいることなどを日々報じている。学校での予防法として、病気にかかった生徒の登校を禁止し、教室の窓を開けて換気を行うことなどをあげている。また、マスクが全国で品切れになり、氷の値段が高くなっているニュースも。ハンカチで口を押さえてセキをするなどのマナーや、布マスクの作り方なども紙面で紹介している。